ピーター・サトクリフ
Peter Sutcliffe
a.k.a. The Yorkshire Ripper (イギリス)



ピーター・サトクリフと妻のソニア

 1975年から80年にかけて英国を震え上らせた連続殺人犯、ピーター・サトクリフの物語はひどく退屈だ。面白いのはその動機のみである。

 その日の彼は踏んだり蹴ったりだった。恋人ソニアの浮気が発覚したのだ。頭にきた彼は「俺も浮気をしてやる」と売春宿へと走った。ところが、インポテンツに陥った。代金の10ポンドのうち半分の5ポンドを返してくれと彼はせがんだ。快諾する筈がない。ポン引きが現れて追い出された。

 3週間後、酒場で件の売春婦に出会ったサトクリフは、5ポンドを返せと詰め寄った。ところが、女は勃たなかったことを暴露して酒場の笑い者にした。この屈辱を彼は忘れなかった。だから1週間後、件の売春婦(だと思ったが人違い)を煉瓦で殴って重傷を追わせた。1969年のことである。以来、彼は売春婦に対する憎悪を募らせていった。


◆第1の殺人
 1975年10月30日、リーズに住むウィルマ・マッキャン(28)は離婚後、4人の子供を養うために赤線地帯チャペルタウンの街角に立っていた。翌朝、ハンマーで頭を殴られた彼女の遺体が自宅付近で発見された。胸と腹がナイフでめった刺しだ。強姦はされていなかったことから、強盗事件として処理された。

◆第2の殺人
 1976年1月20日、副業で街角に立っていた主婦のエミリー・ジャクソン(42)が次の犠牲者となった。やはりハンマーで頭を殴られた後、ドライバーで胸、腹、背中を52ケ所も刺されていた。

◆第3の殺人
 1977年2月5日、やはり売春が副業のアイリーン・リチャードソン(28)がハンマーで殴られ、めった刺しにされた。遺体の状況は前2件にそっくりだ。この時点でようやく世間は連続殺人犯の存在を悟った。いずれも被害者は売春婦で、めった刺しにされている。「ジャック・ザ・リッパー」と似ていることから、誰云うとなく「ヨークシャー・リッパー」と呼ばれるようになった。


 ピーター・サトクリフは1946年6月2日、ブラッドフォード近郊ビンクリーの貧民街で生まれた。極めて内向的な少年だった。「殺人犯というよりも犠牲者の役の方がしっくりくるタイプの男」と彼を評する者もいる。それほどに無口でおとなしい男だったようだ。だからこそ彼の物語は退屈なのだ。テッド・バンディサムの息子のように饒舌に語ることはない。パフォーマンスは何もしない。ただ淡々と売春婦を殺すのみなのだ。

 成績も芳しくなく、イジメられっ子だった彼は、15歳で学校を卒業してからは様々な職業を転々とした。人付き合いが全く出来ないために長続きしないのだ。墓掘り人夫をしていたこともある。逮捕後に語ったところによれば、この時に墓場の十字架から「売春婦を殺せ。そして地上を浄化せよ」との神の啓示を受けたとのことだが、これは精神異常を装おうための嘘八百だろう。

 やがて将来の妻、ソニア・シュルマと出会うが、プロポーズするまでに7年もかかった。その間に彼女に浮気され、売春婦に笑われた件は前述の通りである。また、同じ時期に母親の不倫が発覚している。怒り狂った父親はその密会場所を探り出し、そこに息子たちを呼び寄せることで母親に赤っ恥をかかせたというから酷い話だ。こうした一連の騒動がサトクリフの心に闇を齎したことは間違いない。

 1974年8月10日、サトクリフはソニアと結婚する。しかし、当初から喧嘩が絶えず、サトクリフは赤線に入り浸るようになる。初めて殺害を意図して売春婦を襲ったのは1975年7月5日のことだ。これは未遂に終わり、続く8月25日の襲撃も未遂に終わった。そして10月30日、遂にウィルマ・マッキャンを殺害する。逮捕されるまで犯行は止まらず、犠牲者は13人にも及んだ。



切り裂き魔の逮捕に御協力を

◆第4の殺人
 1977年4月23日、3人の子供を養うために街角に立っていたパトリシア・アトキンソン(32)はサトクリフを自室へと招いた。翌日、彼女は遺体となって発見された。ハンマーで頭を4回も殴られ、ナイフで腹を7回刺されている。しかし、強姦はされていなかった。

◆第5の殺人
 次の犠牲者は初めての例外である。ジェーン・マクドナルド(16)は売春婦ではなかった。地元のスーパーで働く学生である。しかし、赤線地帯であるチャペルタウンに住んでいたために間違われた。1977年6月26日、帰宅途中に襲われたのだ。

 この件を機にチャペルタウン周辺の警備は一層厳しくなった。サトクリフは犯行場所を移さなければならなくなった。

 1977年7月27日、リーズに隣接するブラッドフォードでモーリン・ロングが襲われた。彼女は奇跡的に一命を取り留め、犯人は「襟まで届く金髪」だったと証言した。そのために捜査は攪乱されることとなった。サトクリフは金髪ではないからだ。

◆第6の殺人
 1977年10月1日、サトフリフは初めてドジを踏む。マンチェスターの墓地でジーン・ジョーダン(21)を殺害した時、車が通りかかったために彼は慌てて逃げ出した。その後、彼女に手渡した5ポンド札が証拠になることに気づいた。2日前の給料日に貰ったばかりの新札だったのだ。8日後に意を決して現場へと戻った。草むらの中の遺体はそのままだったが、5ポンド札は見つからない。仕方がないので「ヨークシャー・リッパー」の犯行の証しであるハンマー痕を隠すために頭部を切断しようとした。しかし、拾ったガラスの破片ではハカが行かない。結局諦めて、遺体を数回蹴飛ばしてからその場を去った…。
 賢いようで間抜けな、彼のずぼらな性格がよく判るエピソードである。

 ジーン・ジョーダンの遺体はその翌日に発見された。問題の5ポンド札は遺体のそばに落ちていた。警察はその新札を給料として支払った会社を30社まで絞り込んだ。その中にはサトクリフが勤めていた運送会社も含まれていた。サトクリフも尋問されたが、彼はその札を持っていたかも知れない5千人のうちの1人に過ぎなかった。

◆第7の殺人
 1978年1月21日に殺害されたイヴォンヌ・ピアソン(22)は高級娼婦だった。その手帳には様々な実業家の住所が並んでいたという。空き地に棄てられていたソファの下から突き出した彼女の腕が発見されたのは死後2ケ月も経ってからだ。切り刻まれていなかったために「リッパー」の犯行であるか断定しかねたが、サトクリフによれば車が通りかかったために断念して遺体を隠したのだという。彼女の口の中にはソファの中身が詰められ、胸を踏まれたために胸郭が潰れていた。

◆第8の殺人
 1978年1月31日に殺害されたヘレン・リトカ(18)はイタリア人とジャマイカ人との間に生まれた双子だった。写真で見る限りパム・グリアのような美人である。人生の大半を施設で過ごし、売春婦となってサトクリフの犠牲者となった。

◆第9の殺人
 1978年5月16日にはヴェラ・ミルワード(40)が犠牲になった。その3ケ月後、サトクリフは再び警察に尋問された。彼が乗っていた赤いフォード・コルセアが目撃情報に一致したからだ。ところが、どういうわけかタイヤの跡の照合にもパスしてしまう。大失態である。



長距離トラックの運転手だったサトクリフ

 読者諸君も、語りベである小生も退屈してきたちょうどこの頃、事件は新たな展開を見せていた。1978年3月、ウエスト・ヨークシャー警察と『デイリー・ミラー』紙のマンチェスター支局に「自称犯人」が手紙を送りつけたのである。「ジャック・ザ・リッパー」と名乗る手紙の主は辛辣な口調で捜査当局をあざ笑った。当時はまだ遺体が発見されていなかったイヴォンヌ・ピアソンについては触れていないことからイタズラであることは明白だが、警察はこの手紙の主にまんまと騙され、手酷い目に遭うことになる。

◆第10の殺人
 ほぼ1年後の1979年3月24日、ウエスト・ヨークシャー警察に3通目の手紙が届いた。その10日後の4月4日、ハリファックスでジョセフィン・ウィティカー(19)が殺害された。彼女は2人目の売春婦ではない被害者である。必ずしも売春婦でなければ安全というわけではないのだ。ヨークシャーの女性は震え上った。

 1979年6月19日、例の「自称犯人」から今度はカセットテープが送られて来た。

「ジャックだ。お前らはまだ俺を逮捕できずにいるようだな。もう1回やるって3月に警告したけど、ブラッドフォードじゃなくて悪かったな。今度いつやるかは判らない。しかし、今年中であることは確かだ。たぶん9月か10月、機会があればもっと早くなるかも知れない。場所は判らない。マンチェスターかも知れない。マンチェスターで殺りたいな。あそこにはブラブラしてる女がうようよしてるからな。あいつらはいくら懲らしめても懲りないんだ。ジョージ、あんたと話せてうれしかったよ。切り裂きジャックより」

「ジョージ」とは封書の名宛人、ジョージ・オールドフィールド本部長のことである。彼はテープは本物だと思い込んでしまった。北の港町サンダーランドから送られてきた北イングランド訛りの声の主の捜査のために無駄な時間と金を注ぎ込んでしまったのだ。テープはテレビで一般に公開された。イタズラ者の思う壷だ。真犯人も「俺は大丈夫」と増長する。世紀の愚行と云ってよいだろう。

◆第11〜13の殺人
 いんちきテープの公開に勇気づけられたサトクリフは更に犯行を重ねる。1979年9月2日にはブラッドフォード大学の学生バーバラ・リーチ(20)を、1980年8月20日にはリーズの公務員マルゲリート・ウォールズ(47)を殺害する。もう標的は売春婦にこだわらないみたいだ。犯人が無軌道になった証しであり終点は近い。そして2件の未遂を経て、1980年11月17日のジャクリーヌ・ヒル(20)が最後の犠牲者となった。彼女もリーズ大学の学生で売春婦ではなかった。



トラックの運転席に貼られていた戯言

 サトクリフの逮捕は全くの偶然だった。1981年1月2日、シェフィールドの2人の巡査が売春婦が客引きするのを目撃した。イングランドでは売春そのものは違法ではないが、客引き行為は違法なのだ。巡査たちは早速、その売春婦と彼女が乗り込んだ茶色いローバーの運転手を尋問した。
 男はピーター・ウィリアムズと名乗った。ナンバープレートを照会した巡査は盗難車であることを知る。そのことを告げると、男は動揺し「ちょっと用を足してきていいか」と訊ねた。仕方あるまい。巡査が許可すると、男は道路脇の草むらで用を足した。そして、警察署に連行されてからもトイレを借りた。
 男の本名はピーター・サトクリフだった。やがて彼が「リッパー」の容疑者としてこれまで何度も尋問されていたことが判明した。
「あいつ、本当に小便しに行ったのか?」
 不審に思った巡査が翌日になって現場を捜索した。彼が「用を足した」その場所にはハンマーとナイフが捨てられていた。警察署のトイレにもナイフが隠されていた。この事実を突きつけられてサトクリフは観念したようだ。自らが「リッパー」であることを認めた。

 彼のトラックの運転席にはこのような戯言が貼られていた。

「このトラックに乗っている男の秘められた才能を解き放てば国中を揺るがすことになるだろう。その強力なエネルギーは周囲の者を圧倒するだろう。彼を眠らせたままでいいのか?」
(In this truck is a man whose latent genius if unleashed would rock the nation, whose dynamic energy would overpower those around him. Better let him sleep?)

 サトクリフも他の連続殺人犯と同様に己れをひとかどの人物だと思っていたようだ。しかし、やっていることは非力な女殺しなのだ。クズ以外の何者でもない。身のほど知らずもいいとこである。

 サトクリフは前述の如く「神の啓示」云々で精神異常に持ち込もうとしたものの、陪審員を説得できずに有罪となり、終身刑を宣告された。その際に、少なくとも30年は釈放されないことが条件として付されている。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)
『猟奇連続殺人の系譜』コリン・ウィルソン著(青弓社)
週刊マーダー・ケースブック7(ディアゴスティーニ)
『世界殺人者名鑑』タイムライフ編(同朋舎出版)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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