ドクター・ロバート・ブキャナン
Dr. Robert Buchanan (アメリカ)


 

 1891年2月、ニューヨークの医学生カーライル・ハリスは妻のヘレンにモルヒネを投与して殺害した。「モルヒネの急性中毒と脳溢血は症状が同じ」との医学の知識を悪用したのだ。ところが、たった一つだけ症状が異なる点があった。モルヒネによる場合、瞳孔が収縮するのだ。この点を看過していたハリスは有罪となり処刑された。

 この事件を新聞で知った同じニューヨークの医師ロバート・ブキャナンは、酒場で一杯やりながらバーテンダーに自慢げに語った。
「私ならもっとうまくやるね。瞳にベラドンナを数滴垂らせば、瞳孔の収縮を抑えられるんだよ」
 この一言をバーテンダーが憶えていたおかげでブキャナン医師はしょっぴかれちゃうわけだが、それはまた後のおはなし。事の顛末を順を追っておはなししよう。

 1890年に妻と離婚したブキャナン医師は、どういうわけか売春宿の女将であるアニー・サザーランドと再婚した。これには誰もが訝しんだ。開業医は信頼が命だ。それなのにどうして信頼を貶めるようなことをことさらにするのか? 事実、慎ましさとは無縁のアニーは横柄に振るまい、患者たちの評判は最悪だった。主治医を変える者も少なくなかった。ところが、2年もしないうちアニーはポックリと逝ってしまう。死因は脳溢血だった。

『ニューヨーク・ワールド』紙の記者アイク・ホワイトはアニーの死に不審を抱いた。取材をすればするほど疑惑は増すばかりだ。なにしろブキャナンは5万ドルの遺産を相続したばかりでなく、その直後に先妻と縒りを戻していたのだ。ハナから遺産目当ての結婚だったのではなかったか? 決定的だったのが件のバーテンダーの証言である。かくしてホワイトによるスクープ記事が捜査の端緒となり、ブキャナンは逮捕されたのだ。

 法廷では実際に猫をモルヒネで殺して、その瞳にベラドンナを垂らす実験が行われた。効果は覿面、瞳孔は収縮しなかった。陪審員は有罪を評決、死刑を宣告されたブキャナンは1895年に電気椅子で処刑された。まだ開発途上の電気椅子なので、おそらく彼もウィリアム・ケムラーのように黒焦げになったことだろう。

(2006年12月30日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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