ハロルド・グリーンウッド
Harold Greenwood (イギリス)



ハロルド・グリーンウッド

 ウェールズの南西部キドウェリーに住む弁護士ハロルド・グリーンウッドはあまり評判のいい男ではなかった。主に不動産の所有権に関する事務を扱っていたのだが、同業者からは嫌われていた。曰く、
「手数料をダンピングするのは困ったもんだ。たしかに格安だが、仕事は雑だよ」
 また、浮気の噂が絶えない男だった。事実、事件当時はグラディス・ジョーンズとメアリー・グリフィスという2人の女性と関係していた。
「どうしてあんなに素晴らしい奥様を蔑ろにするのでしょう?」
 地元の人々は信心深くて慈善家の奥方メイベルに同情を寄せていた。

 1919年6月14日、テニス観戦に出掛けていたメイベルは、ふらふらになって帰宅した。暑さにやられたらしい。そもそも、ここ10年来メイベルは体調がよろしくなかった。めまいがひどいのだ。そして、そのことがグリーンウッドの浮気の原因でもあった。夫婦生活がもう10年以上も途絶えていたのだ。精力旺盛な彼は外に捌け口を求め、メイベルも見て見ぬふりをしていたふしがある。 典型的な仮面夫婦だった。

 翌日の15日は日曜日だ。メイベルの具合は悪いままだったが、家族は揃って昼食を囲み、グリーンウッドはポートワインのボトルを開けた。しかし、彼はワインは飲まなかった。ウィスキー党だったのだ。
 午後3時頃、ワインを飲んだメイベルが腹痛を訴え始めた。夕方になっても痛みは納まらず、主治医のトーマス・グリフィスが呼ばれた。整腸剤として蒼鉛(ビスマス)が処方されたが、容態は悪くなる一方だ。激しい嘔吐と下痢に襲われ、激痛に身をよじらせた。グリフィス医師は鎮痛剤としてモルヒネを投与。その直後に昏睡状態に陥り、午前3時30分に息を引き取る。

 こうして経過を辿ると、医療過誤による死のように思えてならない。ところが、世間はそうは思わなかった。
「浮気な旦那が殺したのではないか?」
 10月1日には疑惑は確信に変わった。妻の死からまだ4ケ月も経ってないというのにグリーンウッドが再婚したのだ。お相手は予てからの愛人グラディス・ジョーンズ。小さな町は弁護士の妻殺しの噂で持ち切りとなった。掘り起こされたメイベルの遺体から致死量の砒素が検出されて「ほ〜らやっぱり」。かくしてハロルド・グリーンウッドは妻殺しの容疑で起訴されるに至った。

 グリーンウッドは庭の除草用にたびたび砒素を購入していた。では、彼の仕業だとして、どのようにして盛ったのか? この点、女中のハンナ・ウィリアムズの証言が注目された。
「昼食の時、ワインを飲んだのは奥様だけでした」
 そのワインのボトルを開けたのはグリーンウッドだ。その時に砒素を盛ったのではなかったか?。
 これに対して、弁護人のエドワード・マーシャル・ホール(『緑色の自転車事件』で見事に無罪を勝ち取った辣腕弁護士)は徹底的に抗戦した。まず、娘のアイリーンからこのような証言を引き出した。
「ワインは私も飲みました」
 その上で、主治医のトーマス・グリフィスを尋問し、モルヒネと間違えて阿片を奥方に投与していたことを認めさせた。このことにより流れは変わった。医療過誤による死の可能性が強く印象づけられたのだ。
「あなたは蒼鉛と間違えてファウラーの砒素溶液を彼女に与えたのではありませんか? 共に赤みがかった色をしていますよ?」
 グリフィスは即答できなかった。この瞬間、グリーンウッドの無罪は決定した。判事も陪審員にこのように説示している。
「娘さんも問題のワインを飲んでいたのだとすれば、本件はこれで解決です」

 かくして無罪放免となったグリーンウッドだったが、殺人の容疑をかけられたことは弁護士としては致命的だった。その後は身を隠すようにして暮らし、1929年1月17日、ひっそりと死亡した。54歳だった。

 ところで、彼が無実だったとして、どうして妻の死後、慌てるように再婚したのだろうか?
 それにはもう一人の愛人、メアリー・グリフィスが関係している。妻が死ぬや否や、メアリーが「結婚してよ」と詰め寄って来たのだ。ところが、彼の本命はグラディスの方だった。そこでさっさと再婚して、メアリーを諦めさせようとしたのだが、そのことが仇となって、あらぬ嫌疑をかけられてしまったのである。
 まあ、自業自得と云えないこともない。

(2007年4月10日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
週刊マーダー・ケースブック57(ディアゴスティーニ)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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