ハンス・シュミット
Hans Schmidt (アメリカ)



ハンス・シュミット


シュミットが遺体切断に用いた道具一式

 1913年9月5日、ハドソン川のニュージャージー側を歩いていた2人の若者が、川辺に打ち上げられた荷物を発見した。おやおやこれはなんだろうと包みを開けてみてどひゃあ。中身は首のない女の上半身だった。
 翌日、3マイルほど川を下ったところで別の荷物が見つかった。それはAの文字が刺繍された枕カバーで包まれていた。中身は云うまでもないだろう。残りの下半身である。
 2つともニュージャージーで見つかったのだが、事件はニューヨーク市警が受け持つことになった。重石に使われていた緑泥片岩はニュージャージーでは稀だが、マンハッタンではそこら中に転がっている。つまり、本件はマンハッタンで行われた可能性が高いのだ。
 なお、検視の結果、遺体は20〜30歳の妙齢女性で、少し前に早産、若しくは堕胎していることが判明した。

 枕カバーの製造元を特定し、その販売先を念入りに調べ上げた警察は、最終的にマンハッタンのアパートに辿り着いた。問題の枕カバーが届けられたというその部屋は、大家によれば「ハンス・シュミット」という男が数週間前に若い女のために借りた部屋だった。
 中に入った捜査官がまず眼にしたものは、壁に飛び散る血しぶきだった。それを拭き取ろうとした痕がある。流しにはさらのタワシと石鹸6ケが置かれている。つまり下手人が証拠を隠滅する前に見つかってしまったというわけだ。
 トランクの中には肉切り包丁とノコギリが入っていた。共に最近洗った形跡がある。別のトランクからは何枚ものハンカチが発見された。いずれにもAと刺繍されていた。
 やがて見つかった手紙から被害者の氏名が割れた。アンナ・アウミュラー。ついこの間まで42番街のセント・ボニフェイス教会で使用人として働いていた21歳のドイツ移民である。

 ここまで来れば下手人に辿り着くのは早かった。ハンス・シュミットはこの教会の神父だった。32歳の彼はアンナと同じくドイツ移民で、祖国の神学校で神父となり、4年後の1908年にアメリカに渡った。ケンタッキー州ルイスヴィルの教会に赴任したが、そこで同僚の神父と諍いを起こし、マンハッタンのセント・ボニフェイス教会に移転される。しかし、そこでもアンナと恋仲になってしまう。そのことはやがて教会の知るところとなり、おかげでアンナは解雇され、シュミットも近くの教会にまたしても移転。それでも懲りることなく2人は関係を続けた。そして、何かがあって殺害した…。
 警察の尋問を受けたシュミットは、当初は「そんな女は知らない」などとしらばくれていたが、犯行現場のアパートが調べられたことを知るや素直に犯行を認めた。その際、彼はこのように語ったと伝えられている。

「彼女を愛していた。犠牲は血をもって完了されなければならないんだ」
(I loved her. Sacrifices should be consummated in blood.)

 法廷において検察は、シュミットが神学校に入る前は医学生だったこと、そして堕胎手術の知識があったことを指摘し、アンナに堕胎を施した末に、厄介払いで殺害したのだと主張した。
 これに対して弁護側は、精神異常による無罪を主張した。しかし、検察は彼が祖国で偽造の罪を犯していたことを指摘して反論した。彼はこのたびもキチガイを偽装しているのではないですか?

 陪審は割れた。12人中10人がシュミットはキチガイとの心証を得たのである。結局、評決には至らなかった。この時、有罪を主張していた陪審員の1人が、このようなことを判事に述べている。
「他の10人はキチガイだとは思ってはいるが、ソーのようにマテウォンに収容された後、脱走することも恐れている」
「ソー」とは、同年の8月17日にマテウォン精神病院から脱走したハリー・ソーのことだ。大金持ちの道楽息子が公衆の面前で恋敵を射殺し、金に物を云わせて心神喪失による無罪を勝ち取った挙げ句、収容先から脱走した事件である。つまり、当時のマテウォン精神病院は市民から全く信用されていなかったのだ。
 翌年1月に行われた陪審員総取り替えの仕切り直し裁判では、判事はソーのことも説示することを忘れなかった。かくして陪審員は有罪を評決、シュミットは死刑を宣告され、1916年2月18日に電気椅子で処刑された。
 彼はアメリカ合衆国で死刑になった唯一のカトリック神父である。

 なお、米版ウィキペデイアによれば、シュミットは他の2件の殺人でも関与が疑われているという。1件は彼が最初に赴任したケンタッキー州ルイスヴィルの教会の地下に埋められていた9歳の少女。もう1件は祖国ドイツでの少女殺しである。しかし、彼がこれらの罪で裁かれることはなかった。

(2009年1月30日/岸田裁月) 


参考文献

『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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