リチャード・スペック
Richard Speck (アメリカ)



リチャード・スペック


犠牲者たち
左上から順に
パメラ・ウィルクニング
スーザン・ファリス
メアリー・アン・ジョーダン
ニーナ・シュメール
左下から順に
メルリタ・ガルグロ
ヴァレンティナ・パシオン
パトリシア・マトゥセク
グロリア・デイビー

 1966年11月12日、アリゾナ州メーサの高校生、ロバート・スミスが美容学校に押し入り、4人の女性と1人の幼児を射殺した。そして自ら警察に通報し、動機についてこのように語った。
「有名になりたかったんだよ」
 そんな彼が崇拝していたのがリチャード・スペックだった。スペックのように有名になりたい。だから自らも殺したのだ。
 しかし、スペックは決して崇拝に値するような人物ではない。アル中のプー太郎だ。こういう人にはなってはいけない典型例であり、勢い余って一晩に8人も殺さなければ、とっくに路地裏でのたれ死んでいたことだろう。

 1966年7月13日、イリノイ州シカゴ、ジェフリー・マナーの看護婦寮での出来事である。真夜中の午後11時頃、フィリピン人の若い看護婦、コラソン・アムラオの部屋の扉をこつこつと叩く者がいた。同僚が遊びに来たのかと思って扉を開けると、頬がこけたあばた面の貧相な男が立っていた。その息は酒臭い。手には銃が握られていた。
「乱暴するつもりはない」
 男は穏やかな口調で云った。
「ニューオリンズに行くための金が欲しいだけだ」
 男はその棟にいた6人の看護婦全員を1つの寝室に集めると、それぞれから金を奪った。合わせて100ドルにも満たなかった。

 午後11時30分、1人の看護婦がデートから帰って来た。グロリア・デイビーだった。実は彼女の帰宅が続く惨劇の引き金となるのだが、その訳は後に明かすことにする。
 デイビーからも所持金2ドルぽっちを奪い取った男は「乱暴するつもりはない」と云っていたにも拘わらず、ナイフを取り出してシーツを引き裂き、全員の手足を縛り上げて猿轡をかませた。そして、もう用済な筈なのに、一向に立ち去る気配を見せない。そうこうするうちに更に2人が帰宅した。もちろん、彼女たちも縛られた。
 男は9人を並べて見渡した。いずれも20歳から24歳のうら若き女性である。いずれも美貌で、しかも「白衣の天使」だ(そのことを男が知っていたかどうかは不明だが)。その趣味の人々にとっては夢のような光景である。
 男は意を決すると、まずパメラ・ウィルクニングを隣の部屋に連れ出した。彼女たちは思った。
「手籠めよ」
「手籠めにするのよ」
「そうに決まってるわ」
 そうと判っていても、彼女たちは助けを求めて悲鳴を上げなかった。男がことを終えて戻って来るのを静かに待ち続けた。下手に刺激して危害を加えられることを恐れたためだろう。また、まさか9人全員を手籠めに出来る筈がないと高を括っていた筈だ。パメラには悪いが、彼女1人が犠牲になれば、男はすんなり立ち去ると踏んだのだ。
 ところが、それは大きな誤算だった。

 スーザン・ファリス
 メアリー・アン・ジョーダン

 男は1人づつ連れ出した。部屋に残された者の耳にはやがて悲鳴が聞こえてきたが、しばらくすると静かになった。すると浴室に水の流れる音がして、男が現われて、また1人連れて行く。これの繰り返しだった。
 ニーナ・シュメールが連れ出された時点で、コラソン・アムラオは震え上った。
「こいつ、全員手籠めにする気だ!」
 彼女は床を転がると、ベッドの下に潜り込んだ。

 メルリタ・ガルグロ
 ヴァレンティナ・パシオン
 パトリシア・マトゥセク

 最後に残ったのが、グロリア・デイビーだった。
 コラソンの耳にはやがてベッドがリズミカルにきしむ音が聞こえ始めた。グロリアが今まさに手籠めにされているのだ。罪悪感を感じながらも、コラソンは必死になって息を殺した。
「両脚を俺の背中に回してくれないか」
 男は体位の注文をつけていた。どんな体位だかは判らないが、とにかく、きしむ音は激しさを増し、やがて男は絶頂を迎えた。しばしの静寂の後、男はグロリアも隣の部屋へと連れ出した。
 間もなく、男だけが戻って来た。男は部屋を見渡すと、もう誰もいないことを確認して電気を消した。
 コラソンは恐怖のために身動きが出来ないでいた。やがて午前5時に誰かの部屋で目覚まし時計が鳴った。鳴りっぱなしだ。誰も止める者はいなかった。それでもコラソンは身動きすることが出来なかった。
 6時近くになってようやくベッドの下から這い出すことが出来た。そして、隣の部屋を覗き込むや息を飲んだ。
 血の海だった。
 8人全員が刺されるか、首を絞められるかして殺されていた。バルコニーへと駆け出すと、彼女は外に向って悲鳴を上げた。
「みんな死んじゃたあ。みんな死んじゃったあ」



人形により再現された犯行現場

 トンデモない事件だった。一晩に8人も殺されるとは、少なくともシカゴでは初めてのことだ(アル・カポネが指揮した「聖バレンタイン・デーの虐殺」でも7人だった)。事件は瞬くうちに全米を駆け抜けた。
 犯人はすぐに割れた。こけた頬にあばた面、左腕にあった「Born to Raise Hell」の刺青、現場に残されていた指紋、いずれもアルコール中毒の船員、リチャード・スペックの犯行であることを示していた。3日後には実名で指名手配された。逮捕は時間の問題だった。
 当のスペックは居酒屋のラジオでそのことを知った。もう逃れられない。宿に帰るとボトルを割って手首を切った。しかし、死にきれなかった。助けを求めてフロントによろめき出て、そのまま救急車で運ばれた。警察に通報したのは担当した医師である。負傷した腕に件の刺青があったからだ。

 スペックの目的が強盗だったことは間違いない。それがどうして大量殺人へと発展したのか?
 その答は、前述の通り、グロリア・デイビーにあった。取り調べに際してスペックは、彼女の写真を指差してこう云った。
「別れた妻に生き写しだったんだ」
 この飲んだくれは別れた妻を憎悪していた。友人に「いつか殺してやる」と胸の内を明かしていた。己れのていたらくを棚に上げて、三行半を突きつけた妻を、ひいては全女性を殺したいほど憎んでいたのだ。
 そして、頭を再三に渡って負傷したおかげで、感情の抑制が効かなくなっていた。その上にアルコール中毒、バルビタール中毒である。彼を診断した医師曰く、
「スペックのエンジンは普通の人と同じだが、ブレーキが故障していた」
 グロリア・デイビーが不運にも別れた妻に生き写しだったがために「怒りのターボチャージャー」が作動して、ブレーキが効かない状態で突っ走った。それがスペックの凶行の実態だったのだ。

 生き残ったコラソンは、全員が手籠めにされたと思っていたが、実は手籠めにされたのはグロリア・デイビーだけだった。彼女だけがアナルまで犯されていた。1人づつ殺して行くことで感情を高め、最後に妻への憎しみを爆発させたのだ。殺された他の7人は、いわば前戯だったのである。

 有罪となったスペックは死刑を宣告されたが、直後に最高裁により死刑の執行が停止されたために1件につき50年から150年の禁固刑×8=400年から1200年の禁固刑という米国史上最長の刑期に変更されて、1991年12月5日、心臓発作により死亡した。

(2007年4月8日/岸田裁月) 


参考文献

『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
週刊マーダー・ケースブック60(ディアゴスティーニ)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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