ロバート・スミス
Robert Smith (アメリカ)



ロバート・スミス

 有名な殺人事件を模倣する人々がこの世にはいる。ロバート・スミスがその典型例だ。1966年といえば私が生まれた年だが、その年には後年に語り継がれる2人の大量殺人者が生まれた。7月14日に8人の看護婦を惨殺したリチャード・スペックと、8月1日にテキサス大学の展望台から狙撃して15人を殺めたチャールズ・ホイットマンだ。ロバート・スミスは彼らのように有名になりたいと思った。そして、犯行を計画し、3ケ月後の11月12日に実行したのだ。

 惨劇の舞台となったのはアリゾナ州メーサのローズ=マー美容専門学校だった。朝早くから見知らぬ青年が銃を振りかざしながら現れた。従業員の5人の女性は最初は何かの冗談かと思った。青年が鏡に向けて発砲しても、納得できない女性が訊ねた。
「ねえ、冗談でしょ?」
 彼は訊ね返した。
「冗談だと思うか?」
 そして、声を上げて笑い、床に横たわるように指示した
「もうすぐ40人の生徒が来るわよ。そうなったらどうなると思うの?」
 すると彼はポツリと云った。
「あいにくだが、そんなに弾の持ち合わせはないんでね」
 そして、一人づつ頭に向けて発砲し始めた。

 ジョイス・セラーズ(27)
 デビー・セラーズ(ジョイスの娘/3)
 グレンダ・カーター(18)
 キャロル・ファーマー(19)
 メアリー・オルセン(18)

 ボニタ・スー・ハリスも頭を撃たれたが、幸いにも致命傷にはならず、警察が来るまで死んだふりをしていたために助かった。また、ジョイス・セラーズの娘、生後3ケ月のタマラは、母親が身を挺して守ったおかげで一命を取り留めている。
「子供がいるとは思わなかった」
 自ら通報したロバート・スミスは、警察が到着した時には外で待っていた。抵抗することなく、ニヤニヤと嬉しそうだ。
「どうしてこんなことをしたんだ?」
 警官は訊ねた。彼は極めて簡潔に答えた。
「有名になりたかったんだよ」
(I wanted to get known - to get myself a name.)

 スミスはまだ18歳の高校生だった。ハンサムで学業も優秀だったが、友達がいなかった。メリーランド州から転校してきたばかりだったのだ。内向的な彼は次第に精神に異常を来し始め、スペックとホイットマンに憧れた。そんな折りにタイミングよく(というか悪く)、元空軍少佐の父親から射撃用の22口径をプレゼントされた。8月の誕生日のことである。この時から彼の計画が始まったのだ。

 1967年10月24日、ロバート・スミスは第一級殺人で有罪となり死刑を宣告されたが、72年に連邦最高裁判所が死刑の一時停止を宣言したために終身刑に留まった。
 残念なことに、今日では彼の名前はあまり知られていない。もっと殺せばよかったと嘆いているのではないだろうか。


参考文献

『世界殺人者名鑑』タイムライフ編(同朋舎出版)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG (HEADLINE)


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