ハーシェル・ゴードン・ルイス
HERSCHELL GORDON LEWIS
(1926-)

《監督》
*血の祝祭日(1963)
*スカム・オブ・ジ・アース(1963)
*2000人の狂人(1964)
*カラー・ミー・ブラッド・レッド(1965)
*モンスター・ア・ゴー・ゴー(1965)
*サバーバン・ルーレット(1967)
*サムシング・ウィアード(1967)
*テイスト・オブ・ブラッド(1967)
*悪魔のかつら屋(1967)
*シーデビル・オン・ホイール(1968)
*血の魔術師(1970)
*ディス・スタッフル・キル・ヤ!(1971)
*ゴア・ゴア・ガールズ(1972)
*ブラッド・フィースト/血の祝祭日2(2002)


 60年代を中心にドライブイン・シアターでの上映を目的とした超低予算のヌード映画や怪奇映画を撮っていた人物。『血の祝祭日』で世界で初めて人間のはらわたをアップで撮影したことから、今日では「スプラッター・ムービーの始祖」と称されている。72年を最後に映画からきっぱりと足を洗う。その後は広告業を営んでいるようだが、その引き際は、血まみれの諸作品とは異なり、綺麗で清々しい(註1)。

 問題の『血の祝祭日』は、ドライブイン・シアターの規模では最高の大当たりだったそうだが、評論家からは無視された。評論の価値なしというわけだ。たまに取り上げられても「肉屋のアマチュアの夜」という酷いものだった。いや、その通りなのだが、当時の評論家たちにはルイスのこの試み、つまり内臓そのものを見せるということがヒッチコックの『サイコ』と並ぶほどのエポック・メイキングな出来事であることが判らなかった。
 ルイスが初めて評価されたのは80年代に入って、しかもフランスにおいてだった。当時流行していた「血みどろ映画=スプラッター・ムービー」の先人としてクローズアップされたのである。スプラッター映画の作り手たちはみな若い頃にルイスのフィルムに出会い、大いなる衝撃と影響を受けていた。その意味でルイスは「アーティスツ・アーティスト」と云えなくもない。

註1 2002年に突如として現場復帰、我々を大いに驚かす。新作の企画もあり、どうやら気紛れで復帰したわけではなさそうだ。


関連作品

血の祝祭日(BLOOD FEAST)
2000人の狂人(2000 MANIACS)
サムシング・ウィアード
悪魔のかつら屋(THE GRUESOME TWOSOME)
血の魔術師(THE WIZARD OF GORE)
ゴア・ゴア・ガールズ(GORE-GORE GIRLS)
ブラッド・フィースト/血の祝祭日2


 

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